2015年に発売され、映画化されたベストセラー『君の膵臓をたべたい』を読んでみました。
喪失を乗り越え成長する物語は通過儀礼
冒頭から葬儀のシーン。物語は、余命いくばくもない高校生の女の子と、主人公の男の子を中心に展開され、どうしても『世界の中心で、愛をさけぶ』を連想してしまいます。
もうすぐ死ぬ運命にある少女と、同世代の少年の交流という設定は、山口百恵主演のテレビドラマ『赤い疑惑』や、「愛とは決して後悔しないこと」のセリフで有名なヒット映画『ある愛の詩』など、昔から繰り返し用いられています。
これをワンパターンと思うのは当然なのですが、何度も繰り返され、そしてヒットするという事実が興味深い。喪失を乗り越え成長する物語は、ある種の通過儀礼というか、大人への階段というか、いつの時代も、若い人にとっては必要なのでしょう。
ただ、これらの物語が必要な時期を過ぎてしまうと、あんなに感動して泣いた少し前の自分が、ひどく幼稚に思えてしまうのもまた事実。主人公の親より(たぶん)年上の私からみると、物語の主人公である彼の自意識過剰な態度や、ヒロインである彼女の明るい強がり、そしてふたりが距離を詰めていく過程の強引さやぎごちなさはとても愛おしいのですが、通過儀礼を終えたばかりの年代の人が読むと、自らの黒歴史が暴かれたような恥かしさを覚えるかもしれません。
運命に流されずに「選ぶ」ことを自分に課す
人目を惹く「膵臓」というキーワードですが、これはおそらく、読者にインパクトを与えたり、イメージを沸き立たせるために選ばれたもので、「肺の中に蓮の花が咲く病気」みたいなもの。だから女の子がみせる旺盛な食欲を、「膵臓の病気なのにとんでもない!」と怒っても仕方がない。
「ラノベみたい」というレビューもありますが、ライトノベルを読んだことのない私には、その判断はつきません。ただ、自分から人に話しかけるのが苦手な男の子が、魅力的な女の子に目をつけられ強引に振り回されるパターンは、ラノベではよくあるのかもしれません。
ハーレクインのような恋愛ファンタジーでも、「シークにさらわれて」とか「大富豪の強引なキス」のように、魅力的で積極的な異性にロックオンされるタイトルが目立ちますが、自分の意思とは関係なく、主人公が誰かの手によって、別の世界に巻き込まれていく話は恋愛に限らず、「ここではないどこか」へのあこがれを抱く読者の興味を掻き立てます、
しかしヒロインは、死を間近に迎えても、ただ運命に巻き込まれていく人生を拒否して、「選択」を自分に課しています。そんな彼女をあざ笑うかのように、さらに試練があるのですが、それでも彼女の強い意志が、主人公にしっかりと受け継がれていくところが、この小説のいちばんの読みどころではないでしょうか。
その年齢でなければ、書けない物語がある
小説としての評価とは別に、10代の読者だからこそ、ハートにジャストフィットする作品というのはあります。たとえば、サリンジャーとかブラッドベリとか。マンガなら紡木たくとか。音楽なら尾崎豊とか19(ジューク)とか。たとえが古くてすみません。
そして、文章や構成に未熟な点があっても、若い人にしか書けない小説やマンガはあるので、もし、書いてみたいという気持ちがあるなら、とにかく書いて、投稿サイトに登録するとか、同人誌をつくるとか、どこかで誰かに読んでもらうことをおすすめします。
たとえ、顔見知りの異性が余命いくばくもないことを偶然知ったとしても、年をとれば、「お気の毒ね」「お大事に」で済んじゃって、みずみずしい物語にはならないよ。その年齢ならではの時分の花(by世阿弥@風姿花伝)を、どうぞ大切に。